言葉とリズム

  • 日時、2018年ろくがつにじゅうよっか。にちようび。13:00から16:00
  • 会場、カート神奈川芸術劇場、アトリエ
  • 講師 | 細馬宏通(滋賀県立大学人間文化学部教授、人間行動学者)

セッション3では、人間行動学者の細馬宏通さんが、昨年つくった3種類の音声ガイドを ELAN(映像や音声ファイルを見聞きしながら、その中身に対して注釈をつけることができるソフト)にかけることで見えてきた特徴について、レクチャーを行った。音声と体の動きの関係を研究する細馬さんの観点から、それぞれの音声ガイドの特徴を分析して頂いた。

私たちが一秒間に言えるのは 10文字(10モーラ*)程度である、という音韻の話からレクチャーは始まった。日本語は主語を省略できる言語だが、「体をひねった」というだけでも 8モーラ使ってしまう。0.8秒たつと、表情が変わったり指が動いたり、人間はさまざまな動きをしてしまっている。そのため、音声ガイドをつくるときに考えるべきことは、日本語で短い時間の間に表現できることは限られているということと話す。

また、言葉には、言葉自身のタイミングがある。モーラだけが言葉で伝えるすべてだとすると、とても貧しいものになる。「カラダヲヒネツタ」というと平坦で情報量が少ないものになるが、「体をひねった」と抑揚をつけて言うと、イントネーションや強弱、声色の変化など、さまざまな付加情報が加わる。人間は声を進化させる際に、声の色々な要素を付加情報としてきた。一旦声にすることは、文字としての言葉を発するだけではだめで、声に含まれている色々な表現を全部駆使することが重要、と昨年から試行錯誤してきたプロジェクトの本質を指摘する。

そして昨年の音声ガイド3つを分析。ダンサーの捩子ぴじんさんのテキストを、女優の安藤朋子さんが読み上げた音声ガイド1を「もう一度演じ直しているよう」と言う細馬さんは、誰もいない舞台にリズムを置き、ひとつの音声の舞台をつくるような営みと指摘した。言葉の内容や意味ではなく、言葉の切れ具合によってリズムをつくり、ダンスの時間構造を伝えている。実際に、ジャンプに合わせて書かれたテキスト「タッタタタッタ」のリズムの取り方が捩子さんと安藤さんが読んだ場合ではまったく違うことがわかる。文字に起こしたものを音声に当てはめることは人によって異なることがよくわかる場面だった。

研究会による音声ガイド2は、捩子さんの動きをニュートラルに、幾何学的に表そうとしていると解説する。動きをかなり綿密に表現しているが、何回跳ねた、いつ跳ねたとはそんなに情報が入っていない。大きな時間の枠組みを使って、そこである程度まとまった描写を表している。言葉の内容から理解するようなやり方のガイドになっていると分析した。

能楽師の安田登さんによる音声ガイド3は「私は部屋である」と、この舞台を解釈する枠組みを宣言し、音声ガイドを規定している。言葉数は圧倒的に少なく、新しい情報をあまり入れていない。「飛び跳ね」を多種多様な言い方で表現し、謡のドラマをつくっている。長い時間のプランがあり、大きな流れの中で、腰、腹部、頭、背中など痛みが次々と移動するという展開が考えられていると話した。

後半は捩子さんとSkypeをつなぎ、直接対話する場面も。「終盤にかけて、内部感覚的な表現が多くなっているように感じたが、それは意識していたのですか?」という質問に対し、「目で見ていると正面というものがどうしても存在するが、目で見ていないと正面の優位性がなくなり、体の内側と同じようになるのではないかと考えました」と捩子さん。それはダンス全体の重要なポイントと細馬さんも納得する。

セッションのテーマであるリズムについても言及。「普通はいかにリズムに合わせるか、リズムをつくりだすかに気を遣うと思うが、捩子さんのダンスはリズムに対して挑戦的で、リズムから離れている自分をどうしようとするのかを意識しているように感じました」と細馬さんが話すと、捩子さんは「僕の踊りは舞踏から来ているので、リズムにはめたところから溢れるような微細な動きを取り上げていく作業をずっとしてきました。土方巽が言った“リズムに下剤をかける”という表現が面白いと感じて、それができないかなと考えました」と話す。

ダンスの時間構造を手掛かりに別の音声のドラマをつくる

細馬さんは3つの音声ガイドを振り返り、翻訳の問題と似たもの、つまり身体が持っている言語と音声が持っている言語という異なる言語間での置き換えが行われていると指摘する。どちらも時間芸術で、音声には音声のコレオグラフがあるという。また、音声ガイドは白紙の状態から音声のドラマをつくるものではなく、ダンスというものがあり、その時間構造を手掛かりにして、別の音声のドラマをつくることであると話す。

また、捩子さんが書いたテキストを捩子さんが読んだ音声と安藤さんが読んだ音声で比較する中で、ダンサー自身がテキストを書くということ、書いたテキストを他の人が読むということ、他の人がもう一度テキストをつくり直すということは、ダンスの当事者問題を生み出しているように感じたと指摘した。ここで重要なのは、ダンサー当事者が正しいということでもなく、当事者が内部的に拾い上げたものとは別のことを他の人が見て拾い上げる、さらに音声情報に変換させ語り手が自分の声を使って伝える、という複雑な問題が絡み合っている、と今回分析する中で気づいた音声ガイドそのものの奥深さについて語った。

*音韻論上、一定の時間的長さをもった音の分節単位。日本語は、海外の言葉と違って母音と子音がセットになる。例えば「だるまさんがころんだ」は 10モーラ。